OB会報へ(早出し稿) [岡田ゼミナール]
先日閉講した、我が出身ゼミナール。先生より、OB会報への原稿作成の依頼があり、GW明けが締め切りということで、昨日追い込まれた中で、ぎりぎりに提出・・・。
会報を楽しみにしている人には悪いのだが、まぁ私の文章を楽しみにしている、H科氏のためにも、早早に公開したいと思う。
いつもながらのくどい文章ゆえ、酷評を待ちながら。
こう言うのは何派というのだろうか・・・。
これより提出原稿。
箸より重いものを持ったことがないとの表現があるが、今回はペン
さて、大学を卒業し閉講式で集いし仲間たち。お互い容姿も変わり
現在、地域包括支援センターにて「地域コーディネーター」という
と言いつつも、元来運動は好きであり、それでも出来ることはない
こんな夫の変貌に怒りを覚える妻の日記とされる「恐妻鏡」(吾妻
ところで、トライアスロン(リレー)や駅伝への参加は、現在の自
閉講式のあの日、その手には「襷」が握られ、先生が走ってこられ
私以外のゼミの皆様は、その次の区間を走るべく、それぞれが
ところで、ところで近況を。最近ではロードバイクが一番の趣味と
さてさて。ひょっとしたら、私のようにまだ準備ができていないも
もちろん給水ポイントでは言わずと知れた「硯水」。先生が水戸黄
ゼミナール19期 ちゃかふみ
岡田ゼミ最終講義 [岡田ゼミナール]
箸より重いものを持ったことがないとの表現があるが、今回はペンがことのほか重い。まぁしかし、この時代ペンで書くこともなく、カチャカチャとキーボードをたたいている訳なので、ボタンが重いということになるのだろうか。
元来筆無精であるのに、これ以上伸ばすこともできないと、この重いペンを、アップルではなく(ピコ太郎)、尻に突き刺し、がんばることにする。
さる2月18日東北福祉大学岡田ゼミナール、閉講に伴い、岡田清一先生の最終講義を受けるべく、仙台へむかった。
はじまるまでの仙台観光、そして終了後の祝宴は早早にご報告したが、いよいよこれからが、本題となる。
場所は仙台東口の元代々木ゼミナール。今はそこが東北福祉大学の校舎となっている。これもまたおもしろい巡り合わせだなぁと。
14時半に受け付け開始、ひとりまたひとりとゼミのOBが集まってきた。僕は39期まである岡田ゼミの折り返し地点の19期となる。前後の先輩や後輩の皆さんはわかるものの、見渡せば、なかなかの大先輩もいれば、ほんと学生さんみたいなお若い方もいる。
僕はというと、ちょうどお部屋の後ろに「番長」のように陣取り、入り口から来る知っているゼミ生を見つけては、大きく手を振り、こちらへ誘導していた。ひとり、そしてまたひとりと仲間が増えてくる。ほんと番長だよ。
そうする内に、なんだか、現役時代にねぐらとしていた、「42番研究室」にいて、ゼミのいろいろな仕事をしていた頃のように思われるようになり、、まさにタイムスリップ状態である。
いやぁ、話が進まない。
確か こんな参考書があったのを記憶しているが・・・。少し様子がわかるように書きたいと思う。
「実況中継シリーズ」
まずは本日の講義の題名である。
「『吾妻鏡』から地域調査へ」-「共」育への視座- 岡田清一(東北福祉大学)
まずは
1.ゼミ担当者の専門領域
ここでは大まかな先生のご専門の話になった。
我が師、岡田清一先生は「歴史」の先生である。いや研究者であり、鎌倉時代の『吾妻鏡』を研究されている。ということで、普通に考えると、福祉畑にいる僕がこのゼミに居るのはおかしいのだが、先生はいつの頃からか、ゼミでは歴史の勉強から地域全般の研究へと変わっていった。そういう中で、僕のようなものが紛れ込むことになる。
先生の生い立ちをお話しもされながら、先生が学ばれた時代は学生運動の時、学ぶことにも思想が関係し、なかなか難しい時代なのだなぁと聞いることになる。
またおもしろいエピソードとしては、学生時代に『吾妻鏡人名検索ⅠⅡ』を出版され、そしてその得られた資金で、歴史研究の部の部室を確保されたということである、さすが!
どのような状況でも貪欲に、そして信じる道を突き進んだのは、私のように良き師と出会われたこと、そして若さなのだと思う。
3.ゼミ内容の変更
当初『吾妻鏡』の読み込みを演習としていたそうだが、後に地域研究と変化していくことになる。 このことには①ゼミ学生の減少②先生の視点の変化ということを話されていた。
これまでのご研究、そして様々なつながり、そんなことが先生を変化させていったのかもしれない。
この後、市史編纂ということで地域に関わり、特に我孫子市の市史編纂では「市民の手で創ろう、我孫子の歴史」というプロジェクトに取り組まれ、本業が研究者でない、一般市民による活動にふれられた。
中央から見る歴史から、地方から見る歴史という視点も得られたと話されていた。
そして昭和63年の12期生から「地域調査の実践」がはじまる・・・。
これを聞き、僕は19期なので、あんまり時間がたっていなかったんだと・・・。19期は尾花沢市。
その後先生のつながりで最後の39期まで続いていく。ちなみに南相馬市。
細かい事を言えば、成果である『研究年報』が縦組みから横組み(19期から?)変わり。これは歴史民族分野から福祉や教育分野などが増えたと言うことか?
名称も「地域史研究」から「地域研究」に変わったりしていく・・・・。
ちょっと言葉を拾ってみる
ゼミでは
地域の課題設定→調査→データ・資料の収集→分析・検討→論述をしていく。
方法論の基礎ということだそうで、これは当初の『吾妻鏡』講読の基本と変わらないと話されていた。
→「知識」は有限、方法論(応用)は無限→学び続ける姿勢と能力
→自我・個性の確立
先生は「ひとつでも違うことを考え見よう」と話された。ただただ調べた、様々な論を鵜呑みにするのでは無くと・・・。
「共学・共育」の自覚化(レジュメより一部抜粋)
多くの人びとの支えによってなりたっていることを自覚
成し遂げる=体験を共有するとともに、達成感を感じ取ってもらいたいと考えています と。
学生の研究テーマが広がる中で、岡田先生も学び、この点からも「共学・共育」と。
最後に先生は時代の変化による大学教育についても語られ、簡単に情報収集できるネット社会の中、データを読み込むチカラの低下、他者の成果の抄出、引用、これによって自己と他者の見解の区別が無い事、批判力が減退し、ネット情報への疑問無しでの吸収などなど・・・
聞けば聞くほど耳が痛くなることを課題としてお話しになられていた・・・・。
教職員養成の先生でもあることから、教育制度についてもお話しになられていた・・・・。
よく考えれば、学校で先生の教えをお聞きしたのは、「たった2年」なのである・・・・。それも今生業としている福祉の先生でもない。
でも、僕にとっての2年間、大変有意義であったと、最終講義を聴きながら、納得した。
それは、講義の中でお話しなされていた「方法論の基礎」ということ、学ぶことの喜び、そしてそれらは多くの人との関わりから生まれると言うことなのだろうと。
ゼミ論、卒論、鬼の形相の先生から指導して頂いたことを思い出す。あれは3年のゼミ論提出。まじめなH科氏以外は提出期限がすでに遅れ、なおかつ、私などはパクリまくりで稚拙な内容・・・。
それでも先生はお忙しい時間を割いて、一言一言、赤を引きながら、直して頂いた。しかし、ただ一度たりとも「論」を直されたことはない。そんな先生である。
卒業後のそれぞれの学びに繋がるよう、基礎を教えて頂いた。
論の善し悪しについては、先生の教えを受けた先輩や同期から徹底的に指摘されることになるのだが、それはほんとに良い機会であったと思う。
ふと思い出すと「おまえはひとつの論ありきだよな・・・」こんなご指導を先輩から頂いたことがる。
まさに、らしいというか、未だに、このごり押し間が続いている・・・。
これで岡田ゼミナールが閉講となるわけだが、先生の研究はさらに続き、そしてこのゼミを巣立った、我が岡田ゼミナールOBはそれぞれの分野で学びを続けていく。
先生から頂いた、学びの土台を踏み台にして、がんばって行きたい。前に困難があれば、歩みを止めて当たりを見渡し、多くの人のチカラを借り、少しだけ遠くにいる仲間に声をかけ、「一献」傾け、鋭気を養い。
時々先生からの「池田ぁ~」「大丈夫かよ」なんて気合いをかけられ。
そんなことで行きたいと思う。
そんな場を頂けた、岡田清一先生に、あらためて感謝したい。この御礼は「お・さ・け」にて・・・・。
岡田ゼミナール閉講式 [岡田ゼミナール]
どうしても、最終ゼミの報告に、たどり着けない・・・・・。「最終」ってのが引っかかる。先生のこれまでの思いがつまっているからな・・・。
さて、こちらは すいすい かけそうな気がする。閉講式、つまり酒宴。
最終ゼミが17時で終わり、僕ら19期は宿へ。
ちなみに宿はロイヤルメイフラワー仙台(http://www.hotel-mayflower.jp/index.ht)
その後にタクシーで岡田ゼミ閉講式が行われる、仙台国際ホテルへと向かった。歩いて行くことも考えたが、そこら辺はおっさんなので、満場一致でタクシー。
受付を済ませるとともに、もうすでに、懐かしい顔がたくさん。なかなか会場へ入ることができない。何十年ぶりだろうか・・・。
時間となり、そろい皆で会場へ入る。
こちらは19期から。お花の準備は、残念にも参加できなかった「はんざわさん」。ありがとね。彼女は3年から一緒にがんばってきた仲間、紅一点であり、私たちからの必要な突っ込みにも耐えた、あるいみ強者でもある。
今回の席順は居住地となる。てっきり同期でと思ったが、予想外である。まぁ最終ゼミナールでのお話しを思いだしながら、そして、これまでの活動を考えれば「地域」という分け方もありだと思う。最後にはなったが、同郷の先輩方とお話しするのも良いし。
それにしても、あらためて、我がゼミ、岡田ゼミってすごいなぁと思う。大きな会場に、いくつもテーブルができており、その数といったら・・・。39期が最後のゼミとのこと。まぁそうすると、僕は19期だから折り返し当たりである。
ゼミでの演習内容はいろいろと変遷はあったと思うが、約40年の間、指導を続けてこられたことに驚き、感謝も沸いてくる。
開会がなされ、祝辞ということで、先生のご友人、OB会会長さんのお話しが続く。
先生の歴史をお聞きしながら、同時に学生時代の頃へとタイムスリップした。
恒例の鏡開き。日本酒の大好きな先生である、これを外すことはできない。
鏡開きを行う方々は遠くから来られた方、第1期生とか、記念すべき方々が登壇したようである。
お酒は秋田の「太平山」。
よいしょとのかけ声で、勢いよく鏡開きを行い、祝宴のスタートなった。
コーラスの披露
抽選会・・・。
各人の名札に、なにやら番号がと思っていたが、抽選会でつかうよう・・・。ただ、もうその頃は宴たけなわで、おしゃべり最高潮である・・・。
と次々と壇上にて番号が呼ばれる中「いけだぁ!!」。周りも私に話しかける・・・。最初は「?」と思っていたが、壇上に背を向け話し込んで居たのだが、ふと振り返れば、鬼の形相が・・・。
どうも先生が「いけだぁ~!」と言っていたみたい。「やっべっぞ!」
久しぶりに怒られて、ひやっとするものの、なんだかうれしいのもあって、最後の最後で、俺だけ良いのかなぁ?と思う始末。
できの悪い、弟子は、怒られてもこれだから、ほんといけない、いけない。
先輩風をふかせ、無理に会の進行を止め、集合写真をぱちり。
運営側の現ゼミ生ごめん・・・・。
勝手に顔出します。あんまいい顔なんで。
これって、19期、20期、21期かな?
あっ、S上氏が・・・・・・。かぶっているじゃないかと(h29.2.23ご指摘有り)
ということで、別名場面ですが、なかよしのお二人にて。
あっという間に時は過ぎていきますが、これまでの積み重ねが、僕らの岡田ゼミ、そしてみんなの体にしみこんでいます。
遠く離れていても、仲間です。会えば、すぐに、岡田ゼミ生ですね。太っても、はげても、見てくれが変わろうともね。
また。またまた。
岡田ゼミ最終講義(番外編) [岡田ゼミナール]
学生時代からであるが、まじめな学生であるということは決してない。ここまで断言して良いものか?といわれるかもしれないが、仕方ない。
恩師から何を学んだか、それはたくさん。番外編が先に出てしまうほど、本題の最終講義については、どう書いたら良いか悩む。とは良いながらも、何を学んだか?の一つであるお酒などはすぐに出てくる始末である。とりあえず、ちょっと本題について書く前に、それらを「番外編」とまとめて書きたいと思う。ほんと思いつくままに・・・・。
せっかくの仙台であるので、もちろんお土産は重要である。同期のH科氏も同じで、「何にしようか?」と相談。今回は午後からの最終講義であったので、時間もあり、多賀城のカズノリムラタさんの「マカロン」と「クリームブリュレ」そして「???」にした。
これはお店の画像。
名前をわすれてしまい、「???」にしたが、うまかった。
マカロンの箱 驚くべき記載が・・・・
H氏、参上。(2日目) [岡田ゼミナール]
まずは朝5時起床で「麵屋酒田」へhttp://tabelog.com/yamagata/A0603/A060301/6005766/
実は、昨夜「行くぞ!」と盛り上がり、H氏に朝五時で起こしてくれと頼み、彼は律儀に目覚まし時計になってくれました。
と、こちらは、先週のお酒のダメージも残っているのか、昨日のお酒が分解されていません。完全に二日酔。
運転はH氏に任せ、いざ出陣。
僕は弱気に小盛を。
朝から結構いるもんですね・・・・。今季初の麵屋酒田へ。次は自転車にて。
でもうまいなぁ。
家に戻り、酒が抜けるまで、もう一眠りをすることに。そして次のスタートは10時と。
ではということで、酒田のうまい物がそろう、夢の蔵へ。
庄内人も知らない、良いものがたくさん。それに雰囲気も良くて。
H氏もいろいろと購入。次は海鮮市場へ。
観光をしながら、娘さんの話なども・・・・。
いったん家に戻り、子供達にご飯を食べさせ、午後の部スタート。ち、ちなみに、さすがに胃もたれ中にて、お昼ご飯はパス。
午後からは羽黒山へ。
そんなことで、2時半ころにもなり、お腹もすいてきたので水沢地区の「大松庵」へ
鴨汁蕎麦ととろろ蕎麦を
そんなこんなで、観光終了。楽しいひとときでした。たくさん話したなぁ。学生時代に戻ったようです。
では次回、たのしみ。
仙台遠征(研修なんだけど) [岡田ゼミナール]
まず、今回はこれで来たのだが。
実習をお受けするには、その指導者の資格を得るため勉強しなければならない。週末の二日間缶詰。そして月曜日は通常通りの仕事。これを考えただけで憂鬱になるが、まぁ仕方ない。
でも、人に教えると言うことは、自分の学びの良い機会になるのもわかるしなぁ・・・。そして楽しいこともあるさ
とういうことで、今回研修を受けると共に、学生時代を過ごした仙台で、ゼミの後輩とともに恩師を囲んで一献というイベントがある、正直これがメインというと怒られそうだ。
まぁ、現在の僕があるのは、恩師たる、岡田先生のおかげでもあるし、もちろん酒の師匠。これ見られると怒られる。
さて、研修は
ここ。あれ?と思った方。実は仙台東口にある旧代々木ゼミナール仙台校である。今は東北福祉大学になっており、おもしろいご縁であり、ほんとうに懐かしい場所である。
と、二日間。お昼ご飯くらい、楽しいもうと近隣を物色。
やはり牛タンだろうと思い、利久さんへ。講義終了後に急いでお店へ向かうと、ラッキーにも並ぶことなくお店に入ることができた。
これで午後からがんばれる。
そして念願の「先生を囲む会」
「糀や仁太郎」(http://www.hotpepper.jp/strJ001051367/?vos=evpahpp6005x7193772)で一次会。ここは地酒の飲み放題コースがあり、銘柄も良く、なかなか良いチョイス。
ちなみに東北地酒は伯楽星・綿屋・田酒・一ノ蔵・浦霞・乾坤一・阿部勘・山和・浦霞・日輪田・日高見・澤の泉・墨廼江・橘屋・わしが國・あぶくま・南部美人・一白水成・くどき上手・初孫 など。最後の二つは地元のお酒、うれしくて、うれしくて。
よく、仙台の旅番組などで見るセリ鍋も堪能できた。
そこで終わる先生ではなく、2次会は「オイスターハウス ヤマト」(http://www.yamato-foodconsulting.co.jp/)にてワインを飲みながら。・・・・そして夜は更ける。明日は大丈夫か?の心配と共に・・・・・・。
いろいろとドーピングも試み、無事に二日目の研修を迎える事ができ、二日目のお昼は、ラーメンを。周囲をまた物色すれば、おっ「一風堂」(http://www.ippudo.com/)。ということで初体験。
スープまで、全部飲み干し完食。
無事に研修日程を終了し帰宅。
と、これで終わらず、戻り二日目、時限爆弾が作動し、点滴・・・・・。原因はもうしません。いろいろと問題ありますしね。
現在、病み上がりですが、元気に復活中。
次回が楽しみ。