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岡田ゼミ最終講義 [岡田ゼミナール]

箸より重いものを持ったことがないとの表現があるが、今回はペンがことのほか重い。まぁしかし、この時代ペンで書くこともなく、カチャカチャとキーボードをたたいている訳なので、ボタンが重いということになるのだろうか。

元来筆無精であるのに、これ以上伸ばすこともできないと、この重いペンを、アップルではなく(ピコ太郎)、尻に突き刺し、がんばることにする。

さる2月18日東北福祉大学岡田ゼミナール、閉講に伴い、岡田清一先生の最終講義を受けるべく、仙台へむかった。

はじまるまでの仙台観光、そして終了後の祝宴は早早にご報告したが、いよいよこれからが、本題となる。

場所は仙台東口の元代々木ゼミナール。今はそこが東北福祉大学の校舎となっている。これもまたおもしろい巡り合わせだなぁと。

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14時半に受け付け開始、ひとりまたひとりとゼミのOBが集まってきた。僕は39期まである岡田ゼミの折り返し地点の19期となる。前後の先輩や後輩の皆さんはわかるものの、見渡せば、なかなかの大先輩もいれば、ほんと学生さんみたいなお若い方もいる。

 

僕はというと、ちょうどお部屋の後ろに「番長」のように陣取り、入り口から来る知っているゼミ生を見つけては、大きく手を振り、こちらへ誘導していた。ひとり、そしてまたひとりと仲間が増えてくる。ほんと番長だよ。

そうする内に、なんだか、現役時代にねぐらとしていた、「42番研究室」にいて、ゼミのいろいろな仕事をしていた頃のように思われるようになり、、まさにタイムスリップ状態である。

いやぁ、話が進まない。

確か こんな参考書があったのを記憶しているが・・・。少し様子がわかるように書きたいと思う。

「実況中継シリーズ」

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まずは本日の講義の題名である。

「『吾妻鏡』から地域調査へ」-「共」育への視座- 岡田清一(東北福祉大学)

まずは

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1.ゼミ担当者の専門領域

ここでは大まかな先生のご専門の話になった。

我が師、岡田清一先生は「歴史」の先生である。いや研究者であり、鎌倉時代の『吾妻鏡』を研究されている。ということで、普通に考えると、福祉畑にいる僕がこのゼミに居るのはおかしいのだが、先生はいつの頃からか、ゼミでは歴史の勉強から地域全般の研究へと変わっていった。そういう中で、僕のようなものが紛れ込むことになる。

先生の生い立ちをお話しもされながら、先生が学ばれた時代は学生運動の時、学ぶことにも思想が関係し、なかなか難しい時代なのだなぁと聞いることになる。

またおもしろいエピソードとしては、学生時代に『吾妻鏡人名検索ⅠⅡ』を出版され、そしてその得られた資金で、歴史研究の部の部室を確保されたということである、さすが!

どのような状況でも貪欲に、そして信じる道を突き進んだのは、私のように良き師と出会われたこと、そして若さなのだと思う。

3.ゼミ内容の変更

当初『吾妻鏡』の読み込みを演習としていたそうだが、後に地域研究と変化していくことになる。 このことには①ゼミ学生の減少②先生の視点の変化ということを話されていた。

これまでのご研究、そして様々なつながり、そんなことが先生を変化させていったのかもしれない。

この後、市史編纂ということで地域に関わり、特に我孫子市の市史編纂では「市民の手で創ろう、我孫子の歴史」というプロジェクトに取り組まれ、本業が研究者でない、一般市民による活動にふれられた。

中央から見る歴史から、地方から見る歴史という視点も得られたと話されていた。

そして昭和63年の12期生から「地域調査の実践」がはじまる・・・。

これを聞き、僕は19期なので、あんまり時間がたっていなかったんだと・・・。19期は尾花沢市。

その後先生のつながりで最後の39期まで続いていく。ちなみに南相馬市。

細かい事を言えば、成果である『研究年報』が縦組みから横組み(19期から?)変わり。これは歴史民族分野から福祉や教育分野などが増えたと言うことか?

名称も「地域史研究」から「地域研究」に変わったりしていく・・・・。

ちょっと言葉を拾ってみる

ゼミでは

地域の課題設定→調査→データ・資料の収集→分析・検討→論述をしていく。

方法論の基礎ということだそうで、これは当初の『吾妻鏡』講読の基本と変わらないと話されていた。

→「知識」は有限、方法論(応用)は無限→学び続ける姿勢と能力

→自我・個性の確立

先生は「ひとつでも違うことを考え見よう」と話された。ただただ調べた、様々な論を鵜呑みにするのでは無くと・・・。

「共学・共育」の自覚化(レジュメより一部抜粋)

多くの人びとの支えによってなりたっていることを自覚

成し遂げる=体験を共有するとともに、達成感を感じ取ってもらいたいと考えています  と。

学生の研究テーマが広がる中で、岡田先生も学び、この点からも「共学・共育」と。

最後に先生は時代の変化による大学教育についても語られ、簡単に情報収集できるネット社会の中、データを読み込むチカラの低下、他者の成果の抄出、引用、これによって自己と他者の見解の区別が無い事、批判力が減退し、ネット情報への疑問無しでの吸収などなど・・・

聞けば聞くほど耳が痛くなることを課題としてお話しになられていた・・・・。

教職員養成の先生でもあることから、教育制度についてもお話しになられていた・・・・。

よく考えれば、学校で先生の教えをお聞きしたのは、「たった2年」なのである・・・・。それも今生業としている福祉の先生でもない。

でも、僕にとっての2年間、大変有意義であったと、最終講義を聴きながら、納得した。

それは、講義の中でお話しなされていた「方法論の基礎」ということ、学ぶことの喜び、そしてそれらは多くの人との関わりから生まれると言うことなのだろうと。

ゼミ論、卒論、鬼の形相の先生から指導して頂いたことを思い出す。あれは3年のゼミ論提出。まじめなH科氏以外は提出期限がすでに遅れ、なおかつ、私などはパクリまくりで稚拙な内容・・・。

それでも先生はお忙しい時間を割いて、一言一言、赤を引きながら、直して頂いた。しかし、ただ一度たりとも「論」を直されたことはない。そんな先生である。

卒業後のそれぞれの学びに繋がるよう、基礎を教えて頂いた。

論の善し悪しについては、先生の教えを受けた先輩や同期から徹底的に指摘されることになるのだが、それはほんとに良い機会であったと思う。

ふと思い出すと「おまえはひとつの論ありきだよな・・・」こんなご指導を先輩から頂いたことがる。

まさに、らしいというか、未だに、このごり押し間が続いている・・・。

 

これで岡田ゼミナールが閉講となるわけだが、先生の研究はさらに続き、そしてこのゼミを巣立った、我が岡田ゼミナールOBはそれぞれの分野で学びを続けていく。

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先生から頂いた、学びの土台を踏み台にして、がんばって行きたい。前に困難があれば、歩みを止めて当たりを見渡し、多くの人のチカラを借り、少しだけ遠くにいる仲間に声をかけ、「一献」傾け、鋭気を養い。

時々先生からの「池田ぁ~」「大丈夫かよ」なんて気合いをかけられ。

そんなことで行きたいと思う。

そんな場を頂けた、岡田清一先生に、あらためて感謝したい。この御礼は「お・さ・け」にて・・・・。

 

 

 


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